中尾仁彦の「函館ぶら探訪」

中尾仁彦の「函館ぶら探訪」 


平成30年6月17日(日)開催 第24回〈通算161回〉西部地区旧町名碑巡り(その2) 

◆旧町名碑 台町◆ 

碑は、高龍寺の外人墓地よりのレンガ塀の横にある。 明治5年に誕生した町。弁天台場の築造に必要な土砂を、高台のこの地を切り崩して利用したに由来。しかし単に土地が高台になっていたとの説も。 魚見坂に面した旧西中学校地に、明治6年から明治40年の大火で焼失するまで12軒と規模は小さかったが「台町遊郭」が存在していた色街でもあった。  「高龍寺」は明治12年に大黒町から移転し、現在の本堂は明治33年にできた伽藍造りで、多くの花鳥の彫刻が施された山門など北海道でも有数な寺院である。 1854年に来航したペリー艦隊の水兵2名が病死し、当町の上部の火葬場であった地に埋葬したことから出来た「外国人墓地」や「地蔵寺」、「旧函館検疫所」も存在。 現在の船見町に当たる。


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